志村双葉の徒然コラム


本能的なものをよみがえらせる

妊娠した時、私の中に「母親としてどうするべきか」という答えがなかったのは、今思えば、本能が凍結していたのだと思います。
整体と出会って様々な育児のヒントを知るにつれ、もしかしたら私の中にも本能があるのかも、と思い始め、やがて「母親としてするべきことの本質は、まさに本能なんだ」ということが分かったのです。人間以外のあらゆる動物は、知識とか理論に依らずに本能で子育てをしていて、ヒトにも本来、伝える必要もないくらい当然のものとして、子供を育む本能が備わっていたはず。なのに、どんどん鈍感になっている。
例えば、「泣いている子を抱きしめたい」と思うのは、人間が本来持っている本能だと思います。でも「抱きグセ」「甘やかし」などのあたらな知識が邪魔をして、どうふるまっていいのかも分からなくなってしまっている。ヒトはもともと、どんな育児の本能を持っていたのか、それを思い出すことが現代では必要なのかもしれません。
そのためには、育児は何のためにするのか、という本質をもう一度見つめ直すことも必要です。
例えば私が携わっている社会人教育というのは、もう大人になった人を社会で円滑に仕事ができるようにしつけることですが、しばしば、その前の段階、人間教育がされてきていないな、と感じます。人間として自立していない人に社会人教育をいくらしても、ザルのように流れて行ってしまう、その人の本質を変えることまでは出来ないのです。
精神的にも肉体的にも経済的も、人として自分の足で立って歩けるように育てること。当たり前のことですが、子供たちが自発的に「自立した人間になりたい」と思うように、育てなければいけません。いくら「自立しなさい」と口だけ酸っぱくして言ったって、その子が自立したくなければ、しないと思います。
そのために、もう1つ大事な本質は、「自分が何をやりたいか」が分かることではないでしょうか。世の中にはやりたいことと、やらなければいけないことがあります。やらなければいけないことは、社会人として構成されていくために、周りときちんと付き合っていくことなどの、自分が生きて行くために必要な能力。それに対して「自分がやりたいこと」については、実は分かっていない人がすごく多いかもしれない、と思います。分かっていないから、競争をする。自分が誰かよりも上にいることを確認しておけば、いつか自分がやりたいことを見つけた時に、それに近づいているはずだ、という仮定のもとに競争をしているようにも見受けられます。
自分の道を見つける、自分の足で歩き始める。これが人の本能が持つ本来的な生き方であり、その力を育てることが育児の目的ではないでしょうか。
2007/Apr 志村双葉