志村双葉の徒然コラム


「気付き」と育児

相手の立場や気持ちに気付く、自分が言うべき言葉に気付く、自分が取るべき行動に気付く、看過すべき事とすべきでない事、後回しにして良い事と優先すべき事・・・。さまざまな状況に「気付く」ことができない弊害は、多くは社会人になった時点でトラブルとして表面化してきますが、家庭を持った段階や、出産して育児をする段階になって、ますます顕著に表れてくることがあります。
気付く習慣のないまま過ごしてきた人にとっては、子供に伝えるべき価値基準が分からなくなっていることが多いのです。自分の中に確固たる基準がないと、何を基準に子供を育てていいのかも分からない。そのため、基準を他人との比較にしか見い出せなくなっている人が増えているのだと思います。他人の作った物差しをあてがって比べても、それだけでは、子供の中に「気付く」能力を育てることはできません。

「生きる」ことはすなわち、多かれ少なかれ「他者と向き合って生きる」ということだと思っています。「生きる力」を育てるとは、他者を知ろうとする力、他者の言わんすることを理解する力、それを判断できる力を育てることではないでしょうか。
例えば、初対面の相手の何かに興味を持って、一言声をかけること。それが相手に取ってとてもうれしい質問であり、たくさん語りたいことだったのか、それともあまり話したくないことだったのかという見極め、この人とはどんなアプローチの仕方をしていけば仕事(あるいは親子関係でも友人関係でも)がうまく運ぶのだろうかという試行錯誤、この連続が、他者と向き合いながら生きるということだと思います。
気持ちばかり使って、堂々巡りしてしまったり、感受性ばかり強くて肝心のものが見えていない場合も時にはあるかもしれません。肝心なのは、誰でも「自分のことを分かろうという気持ちを持っている人には、心を開く」ということ。このことは、そうである、というよりは、そう信じていると言った方が良いのかもしれませんが、私の信念でもあります。

2006/Sep 志村双葉