志村双葉の徒然コラム


親としての一番の役割とは?

家庭の中の犯罪を目にするたびに思います、愛が足りていないのかな、と。愛だけは教科書では学べない、体験しなければ 教えられないんです。愛の体験をしていない人は、やっぱり人を愛することが出来ないし、そこに愛不在の連鎖が生まれてしまう。
でも自分の愛情のタンクの不足を自覚して、それを埋める努力をすることが人間はできると思います。 しかし間違った埋め方をしてはいけない。若いうちから性交渉を持つ傾向が早まっているのは、その瞬間には愛情が埋められるような気持ちが持てるからかもしれませんが、その代償に失うものがどんなに大きいのか、最近はその事について声を上げている大学生のボランティア団体なども見かけます。
周りの人や自分も傷つけて、瞬間的な満足を得ようとするのも、みんな「私を分かって欲しい」「私を認めて欲しい」という気持ちの表れですが、これが高じると、他人との信頼関係が築けない、一つの職場に長くいられない、家族を裏切って二重生活を持つ、といったことにもつながります。 苦しいけれども、自分の心の隙間は自分の努力で埋めていかなければならない。そして大人になってからもいつまでも、親の責任を責める心を引きずらないことです。方法としては、まず自分の話を聞いてもらうこと。カウンセラーが増えているのはそのためでしょうね。
一番重要なのは、自分が親になった時に、愛の不足を繰り返さないということです。子供が「自分は愛されている」「認められている」と感じる、親の愛情への強い信頼がある。その関係性を築くことこそが、唯一親の一番の役目なのですから。

この愛情の不足感は、世代間においても幾分片寄りが見られます(ある世代の子供世代がそれを受け継いでしまっているというように)。けれどもその事に気付き、修正するのに遅すぎる、ということはないと思います。
コミュニケーション能力(気付く力)についても同じこと。年を取って頑になったから、自分はもう変われない、と思ったらそこまでかも知れませんが、そうでない限り、遅すぎるということはありません。
人間の素晴らしい能力は、「そう思えば、そうなれる」ことにあります。「成長しよう。変わろう」と思えばそうできるのは、たとえ何歳になっても死ぬ迄「できる」人間の力です。

2006/Sep 志村双葉