志村双葉の徒然コラム


「勝ち負け」にこだわることについて

育児においては近年、「勝ち負け」にこだわりすぎる傾向も見られます。 もちろん成長していく上で、必要な競争もあります。競わせることで向上する能力もあるし、全力を尽くした上での勝ち負けの気持ちを味わうのは大切なことです。
でもいつも誰かと比べて天秤にのせていても、世界中の人を順番に天秤に乗せていたら、それだけで一生が終わってしまうでしょう。今日勝っていても、明日は負けるかもしれない。また競う気もないのに天秤に乗せられてしまった相手は、それこそ迷惑に感じているかもしれません。 どうしても競争していた方が努力できるというのであれば、天秤に乗せるのは「目指す自分の姿」で良いと思います。
最終的に振り返ってみた時に「良かった」と思える人生、「あの時ああしていれば良かったのに」という後悔のない人生であることが重要なのではないでしょうか。
学校と企業では、競争原理の扱いに関して両極端の傾向が見られますね。学校では、過去への反省から過度に競うことを避けていますし、企業では「能力主義」の名の下にさらに競争心をあおり、成果第一の価値観を強めてしまっています。追いつけ追い越せで勝ち抜いていくために、この競争原理は非常に便利なものであることは確かですが、そこに終始してしまう価値観しか持てない社会人が増えているのは憂うべきことです。
人はそれぞれ皆違う能力を持っていて、それは本来、相対的にではなく絶対的に評価されるべきものです。「他の子供はできるのに、うちの子はまだできない」と比べる前に、自分の子供をしっかり「観る」ことが先決です。どんな時に楽しく感じているのか、どんなことをもっとやりたい!と思っているのか。子供自身の持っているものを認めること、受け入れることは、誰よりもまず親がするべきことです。「親はちゃんと私の本質を観てくれている」と感じられる子供は、必要以上に人から評価を求めません。

つい誰かと比べたくなる気持ちを制して、子供自身としっかり向き合うには、強い精神力が必要です。子育てをすることで 親自身も成長させられるのです。
また、周囲と同じように競争に参加しなければ社会性は養われないか?と言われると、そんなことはないと思います。社会のルールはルールとして教えれば良いのであって、世渡りの技術のようなものはいくらでも後天的に学べることでしょう。それよりも自分が親に受け入れられているという信頼感の欠如することの方が、後々取り戻すことは困難であると思います。

2006/Sep 志村双葉